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仙台地方裁判所 平成4年(ワ)419号 判決 1996年12月16日

原告

日下義隆

新山正美

日下義久

右三名訴訟代理人弁護士

村上敏郎

菅原通孝

被告

財団法人結核予防会宮城県支部

右代表者理事

本宮雅吉

右訴訟代理人弁護士

小山田久夫

右訴訟復代理人弁護士

小山田一彦

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告日下義隆に対し金一八二四万四九六〇円、原告新山正美及び原告日下義久に対しそれぞれ金九一二万二四八〇円並びに右各金員に対する平成三年二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  争いのない事実等(証拠によって認定した事実については、かっこ内に認定に供した証拠を摘示した。その余は、当事者間に争いがないか、又は明らかに争われない事実である。)

1  当事者

(一) 原告日下義隆は日下久子の夫であり、原告新山正美及び原告日下義久はそれぞれ久子の子である(甲第一号証)。

(二) 被告は、県民の結核を中心とする胸部疾患等の予防及び治療に関し必要な事業を行い、もって県民保健の向上を図ることを目的とする財団法人である。

2  各地方自治体では、従来、結核予防法四条三項による定期健康診断を実施しているが、近時、肺癌の死亡者数の急激な増加により肺癌検診の必要性が求められたため、昭和五〇年ころから結核の集団検診を利用して肺癌の集団検診を行う例が増え始め、昭和六二年四月一日からは老人保健法二四条に基づく厚生省告示により各地方自治体が区域内の四〇歳以上の住民に対し肺癌検診を行うようになった。

3  被告は、白石市から昭和五七年から昭和六三年まで結核予防法による定期検診(レントゲン撮影を含む。)を、平成元年度以降は同法及び老人保健法等による総合検診を受託し、総合検診では結核検診、肺癌検診等を行い、肺癌検診では結核検診を兼ねたレントゲン撮影を実施していた。

右委託契約は、一般受診者が検診を受けるのを受益の意思表示として、被告がレントゲンフィルムの読影において異常所見を発見した場合に、白石市が異常所見が発見された受診者に対して再検査を要することを伝えるべく、被告は、右受診者のために、要再検と判断したレントゲンフィルムにスケッチをつけて白石市に対して再検査を要する旨の連絡をすべき債務を負うという第三者のためにする契約である。

4  久子は、その居住していた白石市が実施していた前項の検診のうち、昭和六〇年、昭和六一年及び昭和六三年には結核予防法による定期健康診断を、平成元年には総合検診のうち結核検診及び基本検診をそれぞれ受診し、各回ともレントゲン撮影を受けたが、被告は、白石市に対して、久子について異常所見があるとの連絡をしなかった。

5  久子は、平成二年八月、白石市内の海上内科医院において、健康診断のために胸部レントゲン検査を受診したところ、異常所見が発見されたため、右検査にかかるレントゲン写真に4の各レントゲン写真を合わせ持参して仙台市内の仙台厚生病院で精密検査を受けた結果、末期の原発性肺癌であるとの診断を受けた。久子はその後福島県の済生会川俣病院及び白石市内の公立刈田病院に入院して治療を続けたが、平成三年二月一七日、右肺癌が原因で死亡した(甲第一号証ないし第四号証、乙第九号証及び原告日下義隆本人)。

二  争点

1  被告読影担当医師の過失

(一) 原告らの主張

久子が白石市で受けたレントゲン撮影のうち、昭和六三年のレントゲンフィルム(以下「昭和六三年フィルム」という。)には左肺上部に初期の癌を疑わせる異常陰影が認められ、平成元年のレントゲンフィルム(以下「平成元年フィルム」という。)では左上肺野に明らかな孤立性陰影が認められ、異常陰影がかなり憎悪しているのが認められた。

右各フィルムの読影に際して相当な注意を払えば右各異常陰影を発見することは可能であるにかかわらず、被告読影担当医師は、これをいずれも見落とした過失がある。少なくとも、平成元年フィルムの異常陰影は素人目にも明らかなものであり、被告の主張する「集団検診の制約と限界」を前提としても右過失は免れない。

(二) 被告の主張

集団検診は、個別検診と異なり、間接撮影の比較的サイズの小さなフィルムを多数、しかも限られた時間内に流れ作業的に読影しなければならず、しかも問診ができず、年齢、病歴等のデータもないため、フィルムの読影のみで正常か異常かを判断しなければならない等の制約がある。こうした制約から集団検診における胸部レントゲン間接撮影フィルムの読影では、個別検診のように感受性を上げることは難しく、初期の病変や血管陰影との重なりの場合とともに、肋骨、肋軟骨化骨部と重なる陰影の正確な発見は、極めて困難で、レントゲン読影の限界とも考えられる。そして、こうした集団検診の制約と限界を前提とする限り、昭和六三年フィルムについては異常陰影の存在を疑うことは不可能であり、平成元年フィルムについては、小陰影の存するとされる左上肺野は既存構造や肋軟骨の化骨が重なって陰影の出やすい場所であって、原告の主張する小陰影をもって異常陰影と考えにくかったものであり、被告読影担当医師が、右各レントゲンフィルムに異常を認めなかったことに過失はない。

2  被告読影担当医師の過失と久子の死亡との因果関係

(一) 原告らの主張

久子の肺癌は、平成元年当時においては転移は認められなかったものであり、昭和六三年フィルム及び平成元年フィルムからすれば、その進行程度はT1段階で手術が可能であり、手術後の五年生存率は59.6パーセントで良好な予後が期待できた。

従って、昭和六三年か平成元年の時点で被告読影担当医師が久子のレントゲンフィルムの異常陰影を発見し、久子が左肺の切除術等の治療を受けることができたら、久子は十分に生存可能であった。

(二) 被告の主張

(1) 平成元年の段階で、久子の肺癌に転移がなかったとはいえない。

(2) 仮に、被告読影担当医師にレントゲンフィルムの読影ミスがあったとしても、肺癌は各種癌の中でも難治癌の一つであり、術後の呼吸機能との関係で切除術の適応例が限られ、切除可能の場合でもすでにリンパ節転移等が高頻度に認められること等から、手術等の治療を行ったとしても良好な予後が期待できたとはいえない。そして、第二、一記載の久子の治療経過に照らすと、久子の場合、制癌剤、胸膜刺激薬剤等の化学療法、放射線療法、またはこれらを併用する治療法のいずれかが行われていたとしても、救命は不可能であったといわざるを得ず、したがって、被告読影担当医師の読影ミスと久子の死亡との間に因果関係はない。

3  原告らの主張する損害

(一) 久子の損害(相続により、原告日下義隆が二分の一、原告新山正美及び原告日下義久がそれぞれ各四分の一を取得)

(1) 逸失利益一二四八万九九二一円

(2) 慰藉料 二〇〇〇万円

(二) 原告ら固有の損害(原告日下義隆が二分の一、原告新山正美及び原告日下義久がそれぞれ各四分の一)

(1) 葬儀費用 一〇〇万円

(2) 弁護士費用 三〇〇万円

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

第四  争点に対する判断

一  滝沢始及び小中千守による各鑑定の結果(以下、前者を「滝沢鑑定」、後者を「小中鑑定」という。)に第二、一5の経過及び弁論の全趣旨を総合すれば、昭和六三年及び平成元年フィルム上には、久子の左上肺野の同一位置に腫瘍の可能性のある陰影が存在すること、これを異常所見として更に精密な検査をすれば、久子の肺癌は発見可能であったことが認められる。

二  被告の過失について

1  集団検診の制約と限界について

(一) 第二、一の事実に甲第一四号証、乙第一号証ないし第八号証、第一九号証、第二〇号証、第二三号証、第二四号証、証人佐藤正弘の証言及び滝沢鑑定を総合すれば、集団検診の制約と限界について、以下の事実を認めることができる。

(1) 被告は、白石市から、昭和五七年から昭和六三年まで結核予防法による定期検診(レントゲン撮影を含む。)を、平成元年度以降は同法及び老人保健法等による総合検診を受託し、総合検診では結核検診、肺癌検診、循環器検診(基本検診、精密検査)及び貧血検査を行い、このうち肺癌検診では結核検診を兼ねたレントゲン撮影のほか血痰細胞診を実施していた。レントゲン撮影は、間接撮影の方法により行われ、被告は、レントゲン撮影において、昭和六二年度までは七〇ミリサイズのフィルムを使用していたが、昭和六三年度からは読影の精度を上げるために一〇〇ミリサイズのフィルムを使用するようになった。被告におけるレントゲンフィルムの読影は、専用のロールフィルム観察器を使用し、四〇〇人分のレントゲンフィルムがひとまとめになったロールフィルムをレンズ付のシャウカステン上に流し、撮影されたフィルムを1.5倍程度に拡大して読影者が一マスずつ見る方法で行い、一巻のロールフィルムを約一時間で読影し、精神的疲労等が大きいために一日に二巻(八〇〇コマ)までで読影作業を止めていた。レントゲンフィルムの読影は、二重読影及び比較読影方式によることとし、①まず、第一読影者が先にフィルム一本を読影して要再検と認めるフィルム・コマを切り取った後、残りのフィルムを第二読影者に廻し、第二読影者がその廻されたフィルムを見直して要再検に追加すべきと認めるフィルム・コマを切り取る、②次に各読影者は、自らの切り取ったフィルム・コマの受診者の過去三年ないし五年間のフィルムを抽出してカットフィルムを作り、それを一枚のファイルに収納し、これと比較しながら右フィルム・コマを再読影して最終の要再検のものを決定していた。

しかして、久子の平成元年フィルムを読影した被告の担当者は、佐藤正弘、松田尭の両医師である。

(2)  一般に多数の受診者を対象とした集団検診においては、多数の胸部間接フィルムを、短時間に流れ作業的に読影するのが普通であり、読影者の疲労や経験による影響を受けることは否定し得ない。被告の依頼する読影担当の医師も一時間で約四〇〇枚の胸部間接フィルムを流れ作業的に読影していた。また、透過性が悪いとか、撮影方向が斜位であるとかいった撮影条件に問題があるケースにおいても一般には撮り直しができず、与えられたフィルムを読影するしかない。さらに胸部間接フィルムの読影は、数字で示される臨床検査と異なり、正常範囲に極めてばらつきのある、正常と異常の境界の設定が困難な検査である点も指摘されなければならない。

(3)  集団検診には、特異性(治療を要する病変のみを発見すること)と感受性(治療を要する病変を見落とさないこと)の妥協点を如何にして見い出すかの問題がある(なお、これらと並ぶ指標として、病変の疑いをかけたものにつき、実際にその病変が存在した割合を示す正確度がある。)。すなわち、感受性を上げるためには骨陰影の重なりや肋軟骨部石灰化、陳旧性病巣の変化などが疑われる陰影までもすべて要再検とする必要があるが、その結果は特異性が下がり無用に再検査を受ける必要がある人を増やすこととなり、再検査受診者には多大な精神的・時間的負担等をかけるとともに、再検査の結果異常でない者の割合が増えて、集団検診に対する信頼が低下し、受検率の低下を招いて、集団検診を行う意味がなくなるおそれが生じる。その反面、特異性を上げるために明らかに異常と思われる者だけを要再検とすると、感受性が下がり、再検査と治療を要する人を見逃す可能性が大きくなる。このように、現実の集団検診においては特異性と感受性をともに一〇〇パーセントとすることは難しい状況にある。右の特異性と感受性の均衡を図るために、通常は肺癌検診で要再検とされる者は数パーセント程度とされている(青木正和医師は、肺癌疑い例のみでなく結核疑い例などすべてを含めて二ないし四パーセントが普通であり、五パーセントを超えれば読影方法に何らかの問題があるという。乙第二三号証。)

再検査に先立つ比較読影の段階についても、これを行うには多大な時間と労力を必要とするものであって、これに付する割合を増やすことは、集団検診における財政負担の増大をもたらす結果となるから、できる限りこれを抑える必要がある(昭和五七年度から昭和六〇年度までの宮城県肺癌集団検診では、受診者のうち要比較読影とされた割合は5.5パーセントである。乙第二四号証)。

(4)  集団検診におけるフィルム読影においては、問診ができず、年齢、病歴等の受診者に関する参考資料もない状態で、当該レントゲンフィルムの読影のみで正常か異常かを判断しなければならず、また、当初から比較読影を行うことは集団検診の時間的・経済的制約から望むことはできない。こうしたことから、胸部における初期の病変、特に骨と骨とに重なった陰影の正確な発見は時に極めて困難で、レントゲンフィルムの読影の限界とも考えられる(滝沢鑑定)。

(5)  以上のような困難があるため、集団検診における肺癌の発見には限界があり、肺癌が判明した患者について、前年の検診で撮影された間接写真を遡及的に検討すると、これに既に腫瘍陰影が出現しているとされた症例が全体の六〇パーセントから七八パーセントにのぼること、しかしながら、その時点での識別は困難であったとされる症例が全体の四十数パーセントを占めることが、多くの文献で報告されている(甲第一五号証、乙第一号証ないし第八号証)。したがって、検診結果の確実性はその程度に止まるのが現状であって、集団的な健康水準の維持からは有効な方法であるけれども、個別的な肺癌の発見方法としては完全とはいえないものであり、受診者も肺癌検診はこのようなものであることを予期すべきものである。

(二) なお、被告の実施した集団検診においては、胸部の間接撮影フィルムを読影する方法で行われ、直接撮影のフィルムを用いてはいないところ、滝沢鑑定においては、「検診の時間的・空間的制約から現在間接撮影が一般的ではあるが、フィルムサイズが七〇〜一〇〇mmと小さく、直接撮影と比べ不利であることが予想される。」と指摘されている。しかしながら、医学雑誌中には、「間接写真は小さいので、直接写真の方がよいと考えられることも少なくはないが、最近の一〇〇ミリミラー高圧の間接写真の質は優れており、直接写真に何ら劣るところはない。質の悪い直接写真より間接の方がはるかによい。」との指摘もあり(甲第一四号証)、また、証人佐藤正弘も間接写真を直接写真に切り替えることにより、陰影の判断が絶対しやすくなるとはいえないと証言しており、右の撮影方法の差異は、集団検診の大きな制約とまでは認められない。

(三) そこで、以下においては、以上説示した胸部レントゲンの集団検診の制約と限界を前提に、被告読影担当医師らの過失の有無について検討する。

2  昭和六三年フィルムについて

甲第一二号証の二、滝沢鑑定及び小中鑑定によれば、久子の昭和六三年フィルムには左上肺野に小陰影の存在が疑われるものの、右陰影は文字通り小さいものであること、その位置は第一肋骨前面と第五肋骨後面にほぼ重なり、更に左上葉の血管影にも一部重なっていることが認められ、1で認定にかかる胸部レントゲンの集団検診の特殊性に鑑みると、昭和六三年フィルム読影時において、被告読影担当医師らが右陰影を異常陰影として指摘することは困難であったというべきである。

従って、被告読影担当医師らが、昭和六三年フィルムを異常なしと診断したことに過失を認めることはできない。

3  平成元年フィルムについて

(一) 滝沢鑑定は、左上肺野に明らかな孤立性陰影を認める、その位置は左第一肋骨前面と一部重なっているものの、明らかに右側の同部と透過性に違いがあり、異常所見と考えられた、従って、その当時比較読影を行うか、要再検とする必然性があった、とする。

これに対して、小中鑑定は、左上肺野の縦隔寄りに境界が比較的不明瞭な塊状の陰影を認める、この陰影は左第一肋骨前面と一部重なる位置にあるが、右側の同部と透過性の差も認められることから、読影上異常所見と考えられる、としながらも、同部位は骨との重なりも考慮に入れなければならない解剖学的に読影の難しい位置でもあり、読影する医師の判断によって差が出ることも十分に考えられ、二重読影の時点で読影の結果を要再検としなかったことに過誤があると断定することは困難である、とする。

平成元年フィルムの読影を担当した佐藤医師は、読影当時異常所見としなかった根拠は覚えていないとしながら、左上肺野の縦隔寄りにある塊状の陰影は、一枚の写真だけで診れば疑わしいかもしれないが、レントゲン写真上、第一肋骨の前端、肺血管、リンパ管、第四肋骨後面等と重なる部位にあるので、集団検診の読影では右程度の陰影は異常陰影とは見ない、第一肋骨前端の石灰化は左右差があるから、透過性の差は異常とする根拠にはならない、とする(証人佐藤正弘の証言)。

(二) 集団検診を受診する者の立場に立てば、レントゲン写真上に異常陰影が存することが疑われる場合、これを再検査に回し、的確な診断を受ける機会を得させるべきであるとの考えも存在しうる。

しかしながら、本件で問題になっているのは、政策的な意味合いにおける集団検診のあり方ではなく、集団検診におけるレントゲンフィルムを読影する医師の注意義務の有無である。そして、人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁)、具体的な個々の案件において、債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最高裁昭和五四年(オ)第一三八六号同五七年三月三〇日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号五六三頁、最高裁昭和五七年(オ)第一一二七号同六三年一月一九日第三小法廷判決・裁判集民事一五三号一七頁)。したがって、被告読影担当医師らの過失の存否を判断するに際しては、1で説示したように、問診ができず、年齢、病歴等の受診者に関する参考資料もない状態で、当該レントゲンフィルムの読影のみで正常か異常かを判断しなければならず、当初から比較読影を行うことは集団検診の時間的・経済的制約から望むことはできず、比較的短時間に多数のレントゲンフィルムを流れ作業的に読影しなければならず、個別検診と異なり右のような諸条件の下で前述の感受性と特異性の問題を考慮しながら読影しなければならないという集団検診の制約と限界を前提に考えざるを得ないのである。そうであれば、集団検診におけるレントゲン写真を読影する医師に課せられる注意義務は、一定の疾患があると疑われる患者について、具体的な疾患を発見するために行われる精密検査の際に医師に要求される注意義務とは、自ずから異なるというべきであって、前者については、通常の集団検診における感度、特異度及び正確度を前提として読影判断した場合に、当該陰影を異常と認めないことに医学的な根拠がなく、これを異常と認めるべきことにつき読影する医師によって判断に差異が生ずる余地がないものは、異常陰影として比較読影に回し、再読影して再検査に付するかどうかを検討すべき注意義務があるけれども、これに該当しないものを異常陰影として比較読影に回すかどうかは、読影を担当した医師の判断に委ねられており、それをしなかったからといって直ちに読影判断につき過失があったとはいえないものと解するのが相当である。

(三) これを本件についてみるに、(一)の小中鑑定や佐藤医師の証言に、1(一)(4)のとおり滝沢鑑定も胸部における骨と骨とに重なった陰影の正確な発見は時に極めて困難で、レントゲンフィルムの読影の限界とも考えられるとしていること、遠藤勝幸医師らによれば、検診未発見癌における過去の検診写真の検討結果につき、偽陰性の原因としては、肋骨・肋軟骨化骨部との重なりが三一パーセント(乙第六号証)、あるいは正常構造との重なりが四二パーセントで、特に肺門縦隔陰影による例が二八パーセントと最も多かった(乙第七号証。なお、乙第一号証によれば、守谷欣明医師も同様の報告をしている。)と報告されていることを考え合わせれば、平成元年フィルムにおける左上肺野の陰影を異常と認めないことに医学的な根拠がないとはいえず、読影する医師によって判断に差異が生ずる余地がないともいえないものと認められる。証人佐藤正弘の証言によれば、仮に右陰影のようなものまで比較読影に回すべきことにすると、比較読影率を現在の割合から大幅に上昇させ、通常の集団検診における感度、特異度及び正確度を変える結果となることが認められるところ、その集団保健としての政策的な当否はともかく、現行の肺癌検診における読影医師の注意義務を考える限り、このような結果を来すような水準を要求することはできない。

滝沢鑑定は、平成元年フィルムには左上肺野に明らかな孤立性陰影が認められ、比較読影を行うか要再検と判断すべきであったとする。しかしながら、甲第一二号証の三からは、必ずしも平成元年フィルムに認められる陰影が明らかな孤立陰影であるとまでは認めることはできない。そのうえ、本件のレントゲンフィルムの鑑定では、集団検診における場合と異なり、読影前から鑑定するフィルムに肺癌が疑われる陰影が写っていることが解っており、昭和六一年、昭和六三年、平成元年の三枚のレントゲンフィルムを同時に比較して見ることもでき、鑑定対象のフィルム以外のフィルムを見る必要がなく、読影枚数が三枚に限定されて時間をかけてこれらのフィルムだけを見ることができる条件にあったのである。これに対して、被告読影担当医師らが行った集団検診におけるフィルム読影においては、前述のようなさまざまな制約下で行われることを考慮すれば、鑑定の場合とは読影において指摘できる異常陰影の程度に自ずと差異があるというほかはないから、滝沢鑑定中、右陰影から直ちに比較読影を行うか要再検と判断すべきであったとする部分についてはにわかに採用できない。

(四) したがって、読影担当医師らが平成元年フィルムについて読影時に異常なしと診断したことがその課せられた注意義務を怠ったものとはいうことができず、この点につき過失は認められない。

三  結論

以上の次第であるから、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないので棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官信濃孝一 裁判官深見敏正 裁判官三宅康弘)

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